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表現者という肩書き。

 ブログの中の自分はほんの10パーセントでしかなく、残りの
90パーセントが本当の自分なんだといつも言ってきた。そんな
ことどうでもいいじゃないかと思うかもしれないが、ぼくはいつ
もそのことを考えている。自分はなにになりたいのか?少年のこ
ろいつも考えていた。
 ぼくの言っている〈どんな人〉というのは、どんな仕事をして
いるとか、どんな家族だとか、どんな服を着ているとか、そんな
こととはちがう。うまく説明できないが、あえて言えば、生涯の
名刺に書かれる〈肩書き〉というか、そんなもんだと思う。それ
では、ぼくはなんという肩書きのついた名刺を作るのだろう?言
っておくがこの場合の肩書きとは普通の肩書きとはちがう。生き
方の軸になる、こころの糧というか、そこから外れる生き方をし
てはいけないのだ。少なくても、ぼくは、だが。

 ぼくは目指す肩書きの為なら努力を惜しまない。生活がそのよ
うに廻るのだ。仕事も趣味も恋愛も、みんな大事な生き方の種子
だと思うが、この肩書きを持って生きているひとは何人いるのだ
ろう?それは早ければ早いほうがいいのだ。
 まだぼくの肩書きが漠然だったころは、些細な幸福のようなも
のに憧れた。恋愛もしたし家庭を持とうと考えたこともある。し
かし過去のぼくの恋人や友人たちはぼくを普通の人間に戻そうと
した。歌を唄ってもうだつのあがらない自分に自信をなくしたと
きなどは、できるだけ安定した条件のいい会社に勤めるのがいち
ばんいいのだと思うようになった。社会とはそういうものだと母
も言った。
 会社に勤めると、何事にも一生懸命なぼくは社長に仕事ぶりを
認められ責任者として部所を任されたりするようになった。それ
はそれでやりがいのあるもので、さらに勉強したりした。仕事と
は責任を覚えることなのだと学んだ。勤める会社が大きくなると、
人間関係が難しくなる。ときには言いたいことも我慢して、うま
く立ち回ることも必要になってくる。毎日が妥協の繰り返し。報
酬をもらうために、生きていくためにはしょうがないことなんだ
と学んだ。普通はそうなのだ。それでいいではないか、、、


 ぼくのいう〈肩書き〉とは生涯の名刺に書かれるものだ。何々
会社の営業課長だとか、取締役だとか、デカイところでいくと、
総理大臣だとか、そんな肩書きではないのだ。
 先月、ぼくが石川県能見市の九谷焼きの工房を訪ねたとき、そ
この陶芸作家から、「あなたの生きる糧とはなんですか?」と訊
かれた。ぼくは少し間をおいて、
「自分が表現者であるということを心に抱いて生きることです。」
そう応えた。70歳の女性陶芸作家は、
「そうですか、、、なるほど、、わかりました。」
と言い、何度もうなづきながらとても嬉しそうな顔をしていた。
 ぼくは生涯の名刺に〈表現者〉という肩書きを付けている。
いつからだろう?それに気づいたのはわりと最近のことだ。ぼく
がフルコミッションの会社で、公務員の給料の5倍も6倍ものカ
ネを稼いでいたころ、ぼくは寝ないで働いた。魂を削りながら働
く屈辱や、汚い人間関係のなかでカネのことだけ考えてきた。そ
れでもぼくは心の中に〈生涯の名刺〉を辞表と一緒に抱えていたし
、くじけることはなかった。どんなことがあっても、どんなに馬
鹿にされても、ぼくは〈表現者〉だと思えばくじけることはなか
った。ぼくには作品があるからだ。表現者として生きる為に必要
なものは必ず手にいれる。それ以外はすべて排除する。ぼくはそ
んな生き方を選択したのだ。
 旅をすること、人のこころに触れること、完成を磨くために映
画を見たり本を読んだりすること、ためになることがひとつでも
載っているならその雑誌は必ず手にいれ切りとってファイルした。
こころに沁みる珈琲があれば何時間かけてでも飲みにいった。す
べて〈表現者〉として生きるためなのだ。
 悩んでいることがある。〈家族〉というのものが〈表現者〉の
邪魔にならないか?ということ。ずいぶん自分勝手でヒドイ男だ
と思われるかも知れない。しかし、ぼくが今までひとりでいたの
は〈表現者〉として生きると決めたからなのだ。どうだろう?
〈家族〉は〈表現者〉の足をひっぱるのだろうか?わからない。
 ぼくの表現の究極が〈HOBO's COFFEE〉だとしたら、そこを
共に切り盛りする相棒は将来の家族なのかも知れない、そんな
ことを考えたりする。自分と共に生きる人の幸福を祈るという生
き方も表現の一部なのかも知れないな。

 日常の妥協や、我慢することの屈辱は肩書きを持つことで随分
楽になるぞ。何度もいうがこのブログはぼくの10パーセントで
しかない。ぼくのリンク仲間はすべてその肩書きを持ったひとだ
と判断しお友だちになっていただいている。肩書きのあるひとと
友だちになりたい。
 どこどこ会社の何という役職で、そのひとはギターも弾けて、
詩も書いたりする。年収もそこそこで色んなモノもたくさん持っ
ている。でもそんな人ならたくさんいるぞ。笑っちゃう。
 ぼくは生涯の名刺に〈表現者〉という肩書きを書いてある。あ
なたはどんな肩書きと生きているのだろう?地位だとか、名誉だ
とかどうでもいい肩書きなどはいらないのだ。おわかりいただけ
るだろうか?ぼくは表現者として生きている。

 〈肩書き〉とは職業ではない。それは、もっと、なんというか、
崇高で、損得のない純粋なものなのだ。


HOBO
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バラッドをお前に。



しかし、よくできた曲ですねえ、これ。
作曲するひとならわかると思いますが、
おいしいんですよ、これ。
イントロといい、Aメロといい、サビといい、
渋いんですわ、これ。
ロッカバラードっていうんでしょうかねえ、これ。


HOBO

せっせせっせ。

 なにがなんでも安定した道を、

 夢のためなら茨な道を、

これはどちらがいいとか悪いとか、
そんなんじゃない。

ただ好きな道を選んだのなら、
不平不満は言うもんじゃない。
ただ、せっせせっせと、歩くだけだな。
せっせせっせと、
歩くだけ。


HOBO

妥協するなら死んだほうがましだ。

 ぼくがいつも言っている、〈妥協するなら死んだほうがまし〉という
言い回しの意味なんだが、おそらく勘違いされていると思うのでちょっと
だけ触れることにする。
 それは、なんでもかんでも高価なものを求めたり、贅沢をするという
意味ではない。日本がどこへ行っちまうのかわからない、この大変なとき
に、コーヒーカップのことを書いているのだから不真面目でノー天気な
男だと思っているひとも少なくないのであろう。
 毎日この一瞬の過ごし方を考えたとき、ひとは妥協の繰り返しだと思う。
ぼくのいう妥協とは、自分で決めたことに対しての妥協のことをいう。
あきらめることは最も悪いことだ。あきらめることと、我慢することは
ちがうのだ。
 なんでもそうだ。十割のソバが食べたければ絶対食べたほうがいい。
きょう奈良から金沢まで行くと決めたのならなにがあっても行くべきだし、
友人を大切にしたいと思うなら厳しいことも言ってあげるべきだと思う。

 九谷焼きの現場はすさんでいた。たずさわる人たちの言葉が前向きでは
ない。ぼくはたまたま陶芸村で見た桜の花びらを描いた70歳の作家の
絵が気にいったので、直接その作家と話をさせてもらった。九谷は生地を
作るひとと絵を描くひとがちがう完全分業のシステムを取り入れている。
したがって絵を描くひとは多少気にいらない生地(カップ本体)でも
文句も言わずにそこに絵を描いていくのである。当然コストを抑えるため
に、同じ生地を何個もつくるわけだから絵がちがうだけで同じカツプは
そのへんにごろごろ存在するのだ。
 今はそんな時代ではないのでなんでも安くあげることが日常らしい。
必ず「予算はどれぐらいでしょう?」そこから入るのだ。びっくりするの
はどこの店でもついている値段の半額にまで値引きする。店と絵師と生地
屋でセッパンするのだから利益なんか知れているだろう。
 ぼくは言いにくいことを言うべきだと思ったので言ってしまった。
「どうして自分の絵を描くのに生地屋に注文をつけないんですか?わたし
の絵にはこんな生地がいい。もっとこういうカタチのここんところのこう
なった、こんなじゃわたしの絵が活きてこない!そんな風にどうしてもっと
厳しくならないんですか?妥協するなら死んだほうがましでしょう!」
 生地を作る側も同じことが言える。
「わたしの生地を活かす絵を描いてくださいよ!ふたりで最高の作品を
創ろう!」
そんなふうに琢磨すべきだ。販売店にしても同じ。高くてもいいものを
売るという姿勢を貫かなければ九谷は衰退してしまう。

 ぼくは絵師と生地屋と販売店の店主の前で「たとえば」という曲を唄
ってみせた。けして自分の作品には妥協をいれない。自分の言葉で、
自分の声で、自分の演奏で、どこにも妥協をいれるこはないのだ。唄う
ことは生き方であり自分そのものなのだから。
「そこでひとつわたしからの提案なんですがね?」
ぼくは70歳の絵師にお願いしてみた。
「あなたの絵がスキなんですよ。あなたの絵が最も活きる生地を、あなた
に作ってもらいたい。多少いびつであってもあなたそのもという作品が
ほしい」
絵師は、
「わかりました!やらせてください!」
そんなふうに言う70歳の絵師の目は輝いていた。

 なにごとも当たり触らず、自分のなにを守ろうとするのか、生きるこ
とは妥協することなのか?ぼくは違うと思う。とくにモノ創りのエリアに
妥協は許されないぞ。自分に有利なひとにぺこぺこし、ぶらさがるだけ
ぶら下がる。ぼくはそんな生き方は選ばないぞ。妥協することに慣れて
しまうと、目標設定も低いハードルになる。もっともっと志しを高く。
日常は妥協の繰り返しか?おまえはそれでも生きてるのか?ただ息をして
いるだけじゃないのか?

 妥協するぐらいなら、死んだほうがましだ。
死にたくないから妥協はしないぞ。もっと、もっと、もっとだ!
生きることに妥協するなといいたい!


HOBO

機、熟して。

 しかしまあ、同じ日本だというのに、なんでまあこんなに気温が
ちがうんでしょうねえ?苫小牧に降りたとたん、まったく別世界
のようですわ。昼間30度になっても夜が18度ぐらいだと、寝苦し
い思いをすることはないですからね。今ぼくは、寝室の窓を開けて
この記事を書いてます。風がすーすー入ってきます。

 船の中で70歳ぐらいのご夫婦を知り合いましてね、28日に釧路
で行われるマラソン大会にお二人で参加するために奈良から来たと
いいます。マラソン大会が終わったら富良野で一泊し、そのあと札幌
に一泊してからまた苫小牧から敦賀まで。札幌で食事をする約束を
して別れました。仲のいい素敵なご夫婦でしたよ。

 右目が腫れています。ものもらいだと勝手に判断しています。明日
病院にいってこようと思っています。自慢するわけではないんです
が、札幌は最高ですね。すこしづつ、また内容のある記事を書いてい
こうと思います。病院のあとはちょっと物件探しに行こうかな。
機は完全に熟しきってますので。


HOBO

欲しいのはこころの豊かさだ。

 「コーヒーのことばかり書いている」とか、よく言われますよ。
コーヒーなんかなんでもいいと思っているひとはそう思うのかも
しれませんがね、本当はもっと書きたいんですよ、深いですから
ね。
 ぼくは何かひとつのことに興味をもつともう止まらなくなります。
短くて半年、長いと何年もそのことに没頭します。たとえば今は
たまたま九谷焼きの地域にいますので九谷のことに興味が
わいていますが、おそらくしばらくはこのことで頭がいっぱい。
専門誌を読んだり人に話を聴いたり、深く深く入り込んでいくの
が自分でもわかるのです。性格が100か0なんですね。
 うまいコーヒーは当然、いい器で飲むと、なおうまいんですよ。
安ければなんでもいいという人が多すぎるんですよ。九谷の
窯元のひとが嘆いてましたよ。
「こんなもの100円ショップで売っているのと変わらない!」
工房にやってきた人にそんなことを言われることも少なくないと
ききました。
「なるほどねえ」
と、ぼくは中途半端なうなづきをしたのですが、
「むかしはもっと景気がよかったんですよ、100万もする花瓶な
んかも毎日のように売れましてね、いまはそんな時代じゃない 」
遠くをみるように目を細める窯元。
「時代ねえ、、、」
ぼくは店先にたくさん並べてある1000円の食器の山を眺め
ながら、
「時代なんか関係ないと思いますがねえ、本当にいいものは
いつだっていいんですよ。どうしてもっと情熱をもってぼくに説明
してくれないんですか?ついている値段から何パーセント値引
きするとか、さっきからそんなことしか言わないじゃないですか!」
んなことを何時間か話しましてね、赤絵とよばれている、九谷
独特の赤い小紋のカップソーサーをいただいてきました。

 本当にいいモノに触れるということは作り手のこころに触れる
ことだと思います。だからぼくは大量生産のものを好まないの
です。売れればなんでもいいという考え方は間違えています。
しかし残念ながら今はそんな時代なんだと思います。いいものは
修理が利きますからなんどでも再生できるのです。壊れたら
買い代えればいいという思いやりのない考え方は排除しなけれ
ばなりません。
 九谷の赤いカップに漆黒の珈琲エキスは似合うと思います。
はっきり言いますが、世の中の98パーセントの人は、なんでも
いい人たちばかりなんですよ。缶コーヒーだってコンビにのコーヒ
ーだってスターバックスだってなんだっていい人なんです。
じゃやあ、残りの2パーセントの人たちをどうするかですよ。
その人たちはとことん追及する人たちですからねえ。かれらに
モノは売れないですよ。豊かなこころを持った人たちですから、
さらに豊かなこころをもって、、、

 なんてことを考えながらTUTAYAで立ち読みしていると、先日
話をさせていただいた作家の方から電話がかかってきましたよ。
「デザインおこしましたので、まだ金沢にいるのならぜひ見てもら
いたい!」70歳になる女性作家ですよ。
「わかりました!すぐ行きます!」
 ぼくはモノが欲しいんじゃないんですよ。こころの豊かさに触れ
ることができるなら、どこにだって行きますって。

 京焼きなんかもっといいんだろうな、ぐっときますよ、きっと。


HOBO

赤絵と旅と静寂と。

 九谷焼きの作家さんたちと少しですが話ができました。
赤絵のコーヒーカップの一点ものをゲット!やはりこういった
芸術的なものはインターネットとかではなく、実際にものを見て、
触れ、なんていうかなあ、みょうに落ち着きますねえ
日本人なんですから、こういった伝統にふれない手はないですよ。
 夏がすぎて秋がきて、冬のちょっと前ぐらいには九州です。
伊万里なんかもぐっとくるんだと思いますねえ。ぐっとこないと、
つまんないですから。

 片町のフォーク酒場みたいなところで飛び入り。不思議な
もんで、練習もしてないのに唄えるもんですね意外に。
<緞帳役者の唄>・<生きてるだけで満足かい?>この2曲を唄って
きましたよ。

生きてるだけで満足かい?
本当に君は生きてるのかい?
ただ息をしているだけじゃないのかい?

 明日帰ろうと思います。ぱんぱんに膨らんだぼくのカバンに、
夢なんかありませんよ。残念だが。
 時の眺め方がちがうんだろうなあ。まずは帰り、赤絵のカップで
コーヒーを飲んでみよう。すぅ~っとした静寂が、ぼくの旅に
「待った!」をかけてくれるかもしれないぞ。
そう、時の眺め方が、ちょっと、いや、かなりちがうんだと思い
ます。


HOBO

HOBO、最近のノートから。

 まあ、気候を呪うわけにはいきませんがね、この暑さはぼくに
とって最悪の思い出になりそうです。金沢のアスファルトが歪んで
ますよ。お城の堀の下にある、<金澤屋珈琲店>でカレーと珈琲を
飲みまして、「さあ!」と、気合を入れましたが、そのとたん、
こむら返りですよ。ふくらはぎがバレリーナみたいになりましてね、
悶絶してたら、近くの観光客が笑ってました。まったく失敬な
やつらだ。お堀の池には鯉が泳いでましたよ。こむら返りはキツイ
ですわ。千葉ちゃん、元気ですか?

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 無理に横綱を作らなくてもいいですよ。山の上の温泉で老人
に混じって相撲談義です。稀勢の里は駄目だと思いますよ。甘や
かすのもたいがいにしないと。いま、白馬富士の根性なしが問題に
なっているというのに、また第二の白馬富士を作る気か!だから
相撲協会は力士を育てられないんですよ。稀勢の里は無理だと
思いますよ。今までの彼をみていると。まあ、どうでもいいんで
すがね。デブは自己管理ができないですから。ただのデブと、
スポーツマンのデブがいまして、ただ太ってるから相撲をやっている
力士が多いように思いますねえ。デブは言い訳も多いし、責任感
もない。横綱審議委員会みたいなものがあるのですから、年間の
力士の行動をチェックし、まあ、どうでもいいんですがね、
<遠藤>だかっていう金沢の力士が出てきましたねえ。だらしない
上位力士なんかぶっ飛ばしてやればいいんですよ。デブは駄目
ですよ。ごめんね、デブで。

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 金沢にはそれこそ古い建物がたくさんありましてね、<どうぞご
自由にごらんください>みたいなものもあるんですよ。なんていうん
ですか?縁側っていうんですかね、中庭なんかがありまして。
あそこに腰掛けてアイスなんか食べたらウマイだろうなあ、なんて
思いながら。
 外国人から見ると古い日本家屋はベリーナイスだそうです。アメ
リカ人の旅行者が言ってましたよ。ベリーナイスって。写真を撮って
くれって言うんですよ。ニコンのカメラが好きらしく、それも古い
<ニコンF>、やるじゃん。露出を変えて3カット撮ってやりましたよ。
サウスダコタの写真を見せてくれましてね、おー!とか、イエー!
とかしか言わないぼくにもずいぶん熱心に説明してました。
「君はアメリカが好きなんだね?」と言った。
「どうしてだい?」とHOBO。
「だってアメリカ軍のオフィシャルパンツを履いてるじゅないか!」
「あんただって日本の名機、ニコンFを使ってる!」
ははは、と笑いながら、ぼくらは別の道を歩いていった。

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 <金澤屋珈琲店>の千葉ちゃんに紹介されて、九谷焼きの窯元に
いってみたが休みだった。アンティークの九谷なんかを店で使うと
いいだろうなあ。また来よう。
 金澤屋珈琲店に北海道岩見沢出身の若者がいた。偶然!。
道産子は人懐こいんだ。金沢大学の何学部かは訊かなかったが、
ぜひとも頑張ってもらいたいな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 こんな気楽な記事ばかり書いているが、好きで旅をしているわけ
ではないんだ。自分の家から通いながら仕事のできないぼくは
甲斐性なし。喫茶店をやっても、一年のうち一ヶ月は旅をして感性の
低下を防ごうと思っているが、夏に本州の旅はもう止めようと思う。
できれば冬に札幌を抜け出して、夏は札幌にいるべきだ。冗談じゃ
なく、死んでしまう。
 ちょっと事情があって自分たちの入るお墓がなくなったHOBO家
だが、心配するな!母さん。ぼくがまた作ってやるから安心せい。
それより、盆は釧路のホテルに泊まり、たらふくウマイ魚を食べよう
じゃないの。

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 圧勝かあ。まずいだろう、、、
山本太郎氏には頑張ってもらいたなあ。


HOBO


 

ふぁみりい。

 ぼくを応援してくれる人から電話をいただいたりしても、
申し訳ないが疲れていて冷たい対応をしてしまうことがあるんだ。
それはいけないことだと思う。自分のことばかり考えているぼくは、
相手の思いやりに応える真摯さが欠けている。
 50代半ばにして家庭をもち、けっこううまくいっている人なんかも
いると聴いた。なにごとにも妥協せず、その結果いまだに理想の
ひととめぐり合えていないHOBOだが、それはちがうんだと思う。
誰かを選ぶということは、思いやりに応える勇気がないからだ。
覚悟というか、そろそろなのかな?と思っている。


HOBO

カブトムシ。



アイコは才能があるって昔から思ってましたよ。
このころは、<花火><ボーイフレンド>と、乗ってましたから。
曲もそうなんですが、じつはHOBO、この手の顔が好きなんですよ。
みったくめんこっていうんですか?子供と大人の中間みたいな、
そしてファッションセンスもいいですよね。
きのうUPしたユーミンの曲、著作権かなんかで消されちゃいました。
その代わりっていうわけじゃないんですが、<カブトムシ>、
これ、いい曲ですよ。感性、才能のかたまりだ、このこ。

HOBO

profile

Mr.HOBO

ちょっと病気をし
凹んでるとき、
ひょんなことから
1974年製のワーゲンを
手にいれた。
車庫で30年も眠っていた
オレンジ色のワーゲン。
命を吹き込んで
一緒に走ろうと思った。

これは
少年HOBOの
ゆる~い日記だ。

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