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コノイドチェア/ジョージ・ナカシマ

一枚板のカウンターもさすがに7メートルとなると、それを搬入
できる店舗が未だに見つからない。階段は無理、エレベーターも
無理、クレーン車で窓からまっすぐ搬入できる店舗、なかなかな
いものだ。理想のアトリエにしたいので妥協はしない。

カウンターに負けない椅子を作ろうと、全国たくさんの椅子職人
と話をしたが情熱のあるセンスのいい職人はいなかった。ぼくは
どんなにセンスが良くて製作技術にすぐれていても、自分より情
熱のない人からは絶対にモノは買わない。自分の夢はそんなに安
くないからだ。

ジョージ・ナカシマのコノイドチェアという作品をご存知だろう
か?香川県高松市にある桜製作所だけが彼の作品を作るライセン
スをもっている。検索し調べていただければと思うが、この椅子
は二本脚で立っている。座面も脚に直接ついていて、本当に大丈
夫なのかと疑ってしまう。不思議な椅子だ。実際見てきたが、そ
の存在感とオーラにやられてしまった。この椅子ならぼくが選ん
だマホガニーのカウンターに負けないだろう、、、しかし、ぐし
ゃっとつぶれたりしないのだろうか?まったくもって不思議な椅
子である。


HOBO
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つくづく。

結局、ぼくがやりたいのは喫茶店ではないんだと、喫茶店を廻っ
て、つくづくそう思います。


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ブルースが似合うピアノ。

タテ型のピアノのことなんですがね、ほら、トム・ウエイツが
弾いてるような背の低いやつですよ。ブルースが似合うピアノっ
ていうんですか?スタインウェイやベーゼンドルファーなんかに
求めてしまう立派なものじゃないんですよ。YAMAHAじゃブ
ルースしないし半端だし、、ずっと探してたんですよ。
じつは某所でボールドウィンのドロップアクションを見つけた
んですよ。このピアノ、すっとんきょうな顔してましてね、10
0センチくらいしかないんですよ。ラグタイムだとか、ホンキー
トンクなんかがぴったりの70年代のウォルナット。かなりチー
プですねえ。

ふつう、背の低いピアノは音がよくないんです。しかし、アメ
リカのボールドウィンやキンボールなんかは、きらびやかで伸び
のある音なんか最初から狙ってないんですね。そんなものは他社
にまかせて、なんて感じ。しかしまあ、このなんというか、明る
くてノー天気な音。あっ!これだっ!って思いましたよ。なんで
しょうねえ、透き通ってないというか、綺麗じゃないというか、
じつにハスキー。日本の楽器じゃこうはいきませんねえ。馬鹿げ
てるんですよ、やることが、アメリカって。

ステージの真ん中にピアノを置きましてね、すぐ左側にウッド
ベース、右側のちょっと後ろにドラマー、背の低いピアノだとメ
ンバー同士のアイコンタクトができるんですよ。くしゃくしゃな
皮の帽子を深くかぶりましてね、ぼくがボールドウィンを弾きな
がらシャウトするんですよ。そんなことをイメージしましてね、
衝動買いですよ。笑

しかし、同じピアノなのにどうしてこんなに世界がちがうんで
しょうかねえ。まだ物件も決まってないのに、店のはしっこを陣
取る、素敵な仲間がまたひとつ増えましたよ。


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可愛らしさは奥ゆかしいもの。

日本人はなにを見ても「かわいい!」という。雑貨屋のマグカッ
プを見てもスーパーの食品売り場でトマトを見ても「かわいい!
」という。表現のしかたがわからないのか、それとも<可愛らし
さ>の本当の奥深さを知っているのか、とにかくスマホと<かわ
いい!>は国中に溢れている。

たしかに可愛らしさは大切で、ぼくはいつまでもチャーミングで
ありたいと思っている。しかし、ぼくのいうチャーミングとは完
成されたものの中に見え隠れする未熟さというか、触れあえる優
しさというか、要するにその街中にあふれている<かわいい!>
とはかなりちがうように思う。遊び心とでもいうのだろうか、じ
つはその余裕こそが<こころの豊かさ>であるとぼくは勝手に解
釈しているのだが、、、可愛らしさは奥ゆかしいものなのだ。


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昭和が風に揺れる夏。

一匹だけいるハエを母がウザイ顔をして見ているので去年買って
きたハエ捕リボンの貴重な在庫の中から一個を取りだし居間の真
ん中に吊るした。昭和の香りを振りまいてベランダから入ってく
る風にゆれるリボン。これはこれで涼しい。
「最近のハエは頭がいいからねえ、」と母が言う。
「ハエも母親から教えてもらってるんだよ、リボンにくっついた
ら死ぬから気をつけな!って。」たしかになかなかリボンにとま
らない。このハエ、学習能力の高い秀才だ。

そんなことも忘れてむにゃむにゃ言いながら母はソファーに座っ
たまま居眠りしている。腰痛さえなければもっとやさしい顔で居
眠りするのだろうが寝ていても顔が歪むほど母は腰痛に悩まされ
ている。働きっぱなしの人生だったからなあ、、、そう思うと切
ない。そんなことを思いながら母の寝顔を眺めていた。
その時!さっきのハエが母のオデコにとまったのだ。母は相変わ
らずむにゃむにゃ言っている。ハエはオデコから鼻のてっぺんに
移動し、またオデコまで引き返した。
チャンス!
ぼくはテーブルの上にあった新聞紙をまるめて母のオデコで遊ん
でいるハエをぷったたいてやった。母は鳩が豆鉄砲を食らったよ
うな顔をしてムッと起き上がり「な、なにするんだ!」と、ぼく
をにらんでいる。
「デコにとまったから退治してやったよ、ハエ。」
ハエは床の上に転がっていたがまだ生きていた。おそらくぼくの
一撃で脳挫傷、もしくは内臓破裂の重症を負っているはずだ。内
心、悪いことをしてしまったなと少しうちひしがれていると、母
はティッシュでハエをつかみ、さっさとトイレに流しに行った。

夕方、母はソーメンをすすりながら<水戸黄門>を観ていた。
「何度みてもこの、ははぁ~とひれ伏すところがたまんないねぇ
~!ざまあみれ!」と喜ぶ母。やはり、母の笑う顔がいい。

西陽の当たるベランダから少し風が吹いている。気持ちよさげに
ハエ捕りリボンが揺れていた。昭和の香り。まだ若かった母。野
球帽をかぶった少年。

長生きしてや、母さん、、、
ぼくたちは今、昭和の夏を眺めている。


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なんもさ。

地方のおばあちゃんたちの会話を聴いていると笑っちゃうぐらい
ワカンナイ。なにを言っているのか、とても日本語とは思えず、
去年行った山形県の酒田市の食堂のおばあちゃんのナマリはすご
かった。秋田や岩手のナマリもすごいが青森の津軽弁には参って
しまう。かなり汚い。ごめんなさい。笑

なぜか九州や広島などの方言には哀愁を感じてしまう。関西弁も
憎たらしいがなかなかいい。松山千春氏が使う北海道弁はかなり
極端で、あれは足寄町だとか陸別町、本別町あたりの飲み屋で使
う言葉で、十勝出身の僕でもああいう偉そうなしゃべり方はしな
い。松山さんのパフォーマンスだな。<なまら>なんて使わない
し。
まあ、方言もいろいろあって楽しいやら不気味やら、しかし、北
海道弁で気にいってるやつがあるんだ。たとえば、なにか人にし
てあげたとき、「いや~、わるいねえ~!」と言うが、そんなと
き、だいたい十勝のひとは、「いや~、なんもさぁ。」と言う。
「なんもさ」とか「なんもだ」はとてもやさしい返しで、「なに
も気にすることないよ」という思いやりの言葉なんだと思う。
「いや~、こないだ、あんたからもらったタクアンさ、うまかっ
たあ~、ありがとうなぁ~!」「いや~、なんもさ~!」そんな
会話が懐かしい。方言はやさしいんだな。

旅の途中で出会うやさしい方言に思わず目尻がゆるんでしまう。
旅がやめられないのは、そんなやさしさに触れていたいからなの
かもしれないな。

なんもさ、、、やさしいなあ。


ふるさとの 訛りなつかし停車場の人混みの中 そを聴きにいく
でしたっけ?啄木の。



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いつも主人がそこにいて。

美味しいコーヒーが飲みたいな。焼きが浅くても深くても、そこ
の主人が自信をもってすすめてくれるコーヒーが飲みたい。

うちの店はこんなにこだわっている、豆はこうあるべきであーだ
のこーだの。のーがきを壁にはってある店。こういう店にかぎっ
ていつも主人は不在で誰かに任せている。のーがきなんかいらな
いなあ。ただ主人がいつもそこにいて一杯のコーヒーに想いをこ
めてくれればいい。主人のいない喫茶店なんか喫茶店じゃない。
ファーストフードと同じだと思う。


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媚びた歌。

今、ラジオからEXILEだかのなんとかという曲が流れています。
どんな風に唄えば女性が泣くのか?どんな詞にどんな曲を乗せた
ら今風に聴こえるのか?どうやれば売れるのか?お茶の間のアイ
ドルっていうんですか?大嫌いだなあ、こういうの。AKBでし
たっけ?あれとどこがちがうのだろう?あまりいい時代ではない
なあ。はっきり言わせていただきました。


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ぱきんぱきん。

右側の肩甲骨あたりの筋肉がぱきんぱきんにはっている。首をち
ょっと曲げてもぴきーんとひびく。先週あたりから胸の真ん中が
痛みだし、その影響なのかと悩んだりする今日このごろである。
柱に肩甲骨をこすり付け、こりこり感に納得したり、首を片方に
ずっと長い間かたむけ、つっぱり具合に感動したり、筋肉痛なら
いいんだが、心の臓からきている背中の痛みは厄介だ。


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似合うということ。

ル・コルビュジエが晩年にかけていた丸いメガネがほしくていろ
いろ探したことがある、もう何年もまえのことだ。あれは独特な
円形でただ丸いだけじゃない。フランスにそういったヴィンテー
ジのメガネがあるがどれもちいさい。コルビュジェがかけている
写真を見るとずいぶん大きなメガネに見えるが顔が小さく細いの
だろう。結局、EFFECTORの<DESERT>というフレ
ームのサイズが気にいり、ここ1ヶ月はそればかりかけている。
メガネは散歩の数だけ必要だという僕も結局お気に入りは決まっ
ていて、選ぶメガネは、また、僕を好いてくれている。似合うと
いうことはそういうことなんだろう。

ボブ・ディランのようになりたいとパーマをかけたことがある。
レイバンのウェアファーラーよりもっとつりあがったサングラス
を探し理屈っぽい歌を唄いたかった。しかし、僕がパーマをかけ
ても鶴瓶師匠のようなおばさんパーマにしかならず丸顔でぺろん
とした顔にはパーマは似合わないと悟りあれ以来パーマはかけた
ことがない。顔は細く、理屈っぽい歌を唄いたければ理屈っぽい
人間になるしかない。なにが似合いどうすれば自分らしいのかは
ずいぶんあとにならないとわからないものだ。やはり誰かになろ
うなどと考えたらダメだな。自分になること。とても似合わない
ということはとても似合うものがあるということだ。自分にしか
似合わないものを探す、これは自分を知ることからはじまるんだ
な。

公園で遊んでいる犬がいた。その犬は太っていて顔がぺったんこ
だった。ぶひぶひとかいいながら走っていた。向こうで飼い主と
思われる女性が手をふり犬の名を呼んでいた。飼い主も太ってい
た。よく見るとぺったんこな顔をしていて、やはりこれはお似合
いの仲なのだ。自分に似た人を探すのか、それとも自分にないも
のをもった人を探し二人でひとつを作るのか、どっちがいいのか
僕にはわからない。でもまあるいメガネをかけていると世界がま
あるく見えるんだよ。こころがまあるいひとであれば、それでい
いように思う。きょうはとても筋のない話をしてしまったが、そ
うそう、似合うということは素晴らしいといいたかったんだ。


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Mr.HOBO

Mr.HOBO

ちょっと病気をし
凹んでるとき、
ひょんなことから
1974年製のワーゲンを
手にいれた。
車庫で30年も眠っていた
オレンジ色のワーゲン。
命を吹き込んで
一緒に走ろうと思った。

これは
少年HOBOの
ゆる~い日記だ。

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