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捨てられないものがある。

今は<広辞苑第6版>ですから、ぼくの持っている第5版はけっ
こう古いものになります。しかし、デザインは発売当初からほと
んど変わらず、そういったあたりが岩波のカッコいいところなん
です。青い表紙、グレーのケース、センスバツグンだと思います
ねえ。
ぼくは昔から図鑑だとか辞書を見るのが好きだったんですよ。広
辞苑の中の挿し絵なんかかなりいい感じですからね。

小学に上がったばかりのときでしたか、学校から帰ると机の上に
<ジャンルジャポニカ>という図鑑が何冊か置いてありました。
ぼくは母子家庭でしたからね、母がどんな想いでこの図鑑を買っ
てくれたか、いっぺんに買えなかったんだと思います。2ヶ月に
1冊ずつ届きました。ローンが使えなく、少しずつ貯めたお金で
買ってくれたんでしょう。いま思えばですが、、、

だいぶ前に業者に本を売ったことを記事に書いたように思います
が、じつはそのとき図鑑も見積もってもらったんですよ。業者の
若いお兄ちゃんは「こんなものとれないですよ、古すぎて!」と
、腕組みしながら足で図鑑を軽く蹴ったんです。ぼくは頭に血が
のぼりまして、言ってやりましたよ。「お前にも母ちゃんがいる
だろ?これはな、おれの母ちゃんがおれのために買ってくれたん
だよ!」って。
まあ、でも、そんなに大切なものなら売らなきゃいいのにと、自
分が悪いんだと反省しました。

ってなわけで、昔から辞書とか図鑑が好きなんですわ。


HOBO
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広辞苑を枕にして。

<学び>というものは、おそらく、アナログであればあるほど身
につくんだと思う。これは勝手な解釈だが、アナログにはひとの
こころが宿っている。作り手の想いに感謝しなければならない。
感謝のある学びは確実に定着するのだ。

ぼくの昼寝の枕は、もっぱら<広辞苑>である。これを枕にして
眠ると、いつも懐かしい友の夢をみる。むかし箇条書きにした夢
のリストをテーブルに広げ、二人でそれを眺めたものだ。どうし
て?どうして?と問い詰めると、友は困った顔をして下を向く。
でもまた新しい夢の話になると、眼を輝かせる二人だった。

ぼくの学びの途にはいつも彼の影があった。不器用な二人はあの
ときあの場所で別れたが、ぼくはいつも眠りながら彼を追いかけ
ている。いつかまた学びの途で会えるといいな。電子辞書は枕に
もならない。広辞苑を枕に、また、お前の夢をみる。


HOBO

最悪な感じ。

このたびは、なんかこう、頭がぼーっとして、肩が異常にこって
、背中と首がだるくて、吐き気がして、イライラして、残尿感と
残糞感と、なんかもうめちゃくちゃですよ。


HOBO

不愉快な朝。

むかしの自分はカッコよかっただなんていうやつは最低だな。そ
れは男だって女だって同じだ。人間は傷ついたり凹んだり、剥が
れたりしながら磨かれるんだよ。だから今がいちばん輝いている
。今がいちばんカッコいいと堂々と言える大人にならないからガ
キどもになめられるんだ。女性に歳を訊くのは失礼だって?

老け込むのもいいかげんにしろ!


HOBO

ツライこと。

心がとても乱れていたり、欲求不満の極致のときは、よけいに、
なにか、こう、豊かなものに触れたくなるんだな。

だけど、せっかく豊かになったとしても、それを伝える人がいな
い。それがボクの悩みなんだよ。いちばんツライこと。


HOBO

口笛吹いて。

八王子の<パペルブルグ>という喫茶店に来ている。サイフォン
のわりには旨い珈琲をだす店だ。しばらくまともな珈琲を飲んで
いなかったので少しやさしい気分になった。

この店の椅子はすべてホンモノ、英国のウィンザーチェアで、店
の片隅に古いウォルナットのM型スタインウェイが置いてあった
り、なかなかなもの。ヴィンテージのオーディオからオスカー・
ピーターソンでも流れていたらオーナーにキスでもしてやりたか
ったが、やはりここにもオーナーはいなかった。天井の丸い埋め
込みスピーカーからジャズのようなものが聴こえている。もしも
ここに極上の音楽が加わり、常にオーナーがカウンターに立つよ
うな店になれば、ノックアウトされるかも知れない。

ハンス・ウェグナーやフィン・ユール、ジョージ・ナカシマにし
てもウインザーチェアの影響を強く受けている。ホンモノはやは
り美しい。少しまえに亡くなった村上富朗さんの椅子を一脚持っ
てはいるが、この店に来て、さらにウインザーチェアについて学
びたくなった。
じつは、勉強不足から今まで僕は松本民芸家具の椅子をウレタン
塗装だと勘違いしていた。だから無条件で購入候補から外してい
たのだが、浜松で松本民芸の家具を扱っている<丸東工芸舎>で
訊ねてみると、ラッカー塗装だと教えてくれた。それなら話は変
わってくる。英国伝統の製作技術をもとに、忠実に再現した、い
わゆるレプリカではあるが、その佇まいは実に素晴らしく、温か
い。しっかり拝見し、これはヴィンテージになり得る椅子だと確
信した。

僕の店はすでにパーツからできあがっている。物件より先にパー
ツを決めるなんて、なんて僕らしい。いつもそうだ。いいものを
見たり聴いたりすることは指標の位置を高くする。口笛でも吹き
たい気分だな。
ひゅうひゅう、と。


HOBO

酔いどれトムの歌。

イーグルスの<オン・ザ・ボーダー>というアルバムの中に『オ
ール・55』とう曲が収録されている。イーグルスの曲の中でも
最も好きな曲である。じつはこの曲がトム・ウエイツの作品であ
ることをぼくはかなり後に知ることになるが、トム・ウエイツの
優しさが滲み出た秀作というか、この曲、彼のファーストアルバ
ムの1曲目で聴くことができる。

アーティストにとってのデビューアルバムは特別なものだという
が、アルバム『クロージング・タイム』はじつに素晴らしい。こ
の翌年、1974年にはアルバム『土曜日の夜』が発売されるが
、彼の書く作品はとても温かい。そのしわがれた声には本気で憧
れた。酔いどれ詩人、酒場のブルースマン。今さらジャズを学ぼ
うとしている表現者・晩年HOBOの心に、トムのデビュー作は
嬉しいほど刺さるのだ。

右手に太平洋の海を眺めながら、ドン・ヘンリーでもグレン・フ
ライでもなく、トムの『オール55』を聴いている。デビューか
ら酔いどれている詩人、トムの歌、、、涙がとまらない。


HOBO

『パリ左岸のピアノ工房』

浜松の街のはずれを歩いていて何気なく訪れたピアノ工房。ほこ
りの舞う二階の大きな倉庫には沢山のピアノが乱雑に置かれてい
た。梱包され出荷を待つ脚のないグランドピアノ、傷だらけのア
ップライトや欲しかったYAMAHAも新しいオーナーを待って
いた。

倉庫の奥に大屋根のはずれた1937年製のマホガニーのM型ス
タインウェイがあった。鍵盤の象牙も剥がれ、風格漂う傷だらけ
の170センチ。その横にはウォルナットのL型がある。仕事が
うまくいかず凹んでいたが、いっぺんに心が晴れてしまった。い
つまでもそこに居たいと思った。マホガニーの上に積もった埃に
<HOBO>と書いた。

新潮社からでている、T・E・カーハート著、『パリ左岸のピア
ノ工房』をまた読みたくなった。何年も、そう、もう何年も前、
ぼくがまだぼくでなかったころ、あこがれた世界。この世界は病
みつきになる。心が躍り、もう、どうしようもない。


HOBO

ピュア。

カウンターのなかにいる女性が温めたカップを念入りに布切れで
拭いていた。

ぼくは異常に神経質なのでその布の清潔具合とか匂いのことが気
になってしょうがない。布が半乾きだったり洗剤の匂いが残って
いたり、指先にニコチンの匂いがついているひとがいたり、とて
も気になる。せっかくちゃんとおとしたコーヒーでも、カップに
口を近づけたとき洗剤や香水の香りがしたりするともうそれは商
品ではない。戌年のぼくは鼻がきく。くんくんぴくぴくと。

食器を拭く布は気をつけようと思う。香料や発泡剤の入っていな
い洗剤を使いたい。食器を洗う洗剤にしても同じで、今のところ
米国のアムウエイ社のものを好んで使っているがもっといいもの
があれば代えてもいい。お客様にだすコーヒーはとてもピュアな
ものでなければならない。だから、鼻くそをほじくる癖もやめな
ければダメだろう。


HOBO

楽器のお墓。

浜松市は楽器の街。なんでか知らんがそうらしい。<楽器博物館
>だかに行ってきた。

値段がつけられないような世界の希少楽器がいろいろ。ベーゼン
ドルファーやスタインウェイの世紀のちがうピアノには見惚れた
が、≪手を触れないでください!≫と書いてあるとよけいに触れ
たくなるじゃないの。いいじゃないの、ちょっとぐらい。

でも、人間国宝になったり殿堂入りしたりする偉いひともそうだ
が、博物館のようなところにある楽器は死んでいる。やはり楽器
は弾いてあげたい。不思議だ、全然ほしいと思わない。っていう
か、買えないし。がははは!


HOBO

profile

Mr.HOBO

ちょっと病気をし
凹んでるとき、
ひょんなことから
1974年製のワーゲンを
手にいれた。
車庫で30年も眠っていた
オレンジ色のワーゲン。
命を吹き込んで
一緒に走ろうと思った。

これは
少年HOBOの
ゆる~い日記だ。

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