スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ビル・エヴァンス。

ぼくの家の1階にラーメン屋があることは前にブログで書いたこ
とがあるが、そこの主人は会うたびに「HOBOさん、いよいよ
ダメかもしれません、、、」が口癖で、4ヵ月まえ、ぼくが本州
に出張する前にラーメンを食べにいったときもそう言っていた。
なんとか10年も頑張ってきたんだからもっと幸せそうに笑って
いればいいのに主人の顔はかなり暗い。悲壮感が服を着て歩いて
るようなものだ。

夕方、病院の帰りにちょっと店をのぞくと、主人は相変わらす苦
虫をかみつぶしていた。以前よりずっと背中が曲がり、今ではビ
ル・エヴァンスよりもっと丸くなっている。ちょっとドアをあけ
て「よおっ!」と声をかけるとドロンとした目でこっちを見てい
る。「ちぇっ!しけた面してやがる!」と言うと「HOBOさん
、いよいよダメかもしれません、、、」と、ビル・エヴァンスは
さらに背中を丸くした。
すこしかわいそうになったので醤油つけ麺を注文した。ここのつ
け麺はなかなかいける。魚介スープに柚子の香り、平たい太麺、
いま流行りのスタイルだ。主人はいつもぼくに、どうすればもっ
と流行る店になるのか?訊いてきた。あーでもないこーでもない
、富山ブラックや和歌山のラーメンは最高だとか、流行る店のあ
り方みたいなことを話しても主人の目はいつもドロンとしたまま
だった。ため息をつきながら「HOBOさん、この際、ぼくのな
にがいけないのかはっきり言ってもらえますか?!」みたいなこ
とを言うので、「先ずはその暗い顔、丸い背中をなんとかしたほ
うがいいな。そんな様子だと客はこないよ。」

主人のラーメンはまずくはない。それどころか勉強熱心すぎるぐ
らいで常に流行りの味を研究している。魚介が流行れば魚介を取
り入れ、こがしチャーシューが流行ればそれの研究をする。ぼく
はそのへんがこの店の弱点だと思っている。主人は主人の一番や
りたい味を目指すべきだ。どうしてどうやれば受け入れられるの
か?それを考えるなら、まずはブレない自分をつくることだと思
う。ぼくはきょう、そう彼に伝えてきた。もうそれ以上、ビル・
エヴァンスにはならないでくれ。


HOBO
スポンサーサイト

想う街、想う人。

三年ほどまえから本州で仕事をさせてもらってるんですが、いろ
んな街に行きましたよ。福岡や金沢、浜松のように大好きな街も
あれば、京都や神戸のように何度行ってもなじめない街もあった
り。住めば都なんでしょうがね。

気づいたことがありましてね、ん~、最初はわかんなかったんで
すよ。北海道の冬は厳しいので冬は九州とか四国とか南の街に行
こう、そして夏は北海道で、みたいなことを考えてました。単純
ですからね。笑
でも何回もそんな感じで旅をしたんですが、いまこうして札幌に
いますとね、やっぱり北海道の冬って温かいんですよ。部屋の温
度という意味じゃないんです。なんかこう淋しいときに本州の冬
はぎゃくに骨身に凍みるというか、北のほうが温ったかい。しば
らくここにいて夏になったらまたいきますよ本州。夏は南の街が
いい。なんていうかなあ、やっぱり基本的にぼくは田舎者なんで
すね、人混みは淋しくてしかたない。人恋しくなるんですね。も
うすこしピアノをちゃんと勉強して弾き語れるレベルになれば、
知り合ったいろんな街のベースマンとドラマーに連絡し、トリオ
でセッションできるのに。そんなことを考えてますよ。コードは
だいたい覚えまして(笑)、新しい曲も何曲かできました。練習は
ウソをつかないですね、初めてギターを学んだときの少年の純情
を思いだしましたよ。

いくつになっても学ぶことは大切ですね。旅で集めた言葉たちに
感謝ですよ。想う街や人ができました。それはきっと、ここにい
て初めてわかる優しさなんですよ。


HOBO

さよなら、ヘミングウェイ。

きょう、病院のロビーで万年筆を紛失しました。モンブランのヘ
ミングウェイ。急いで戻ったが見あたらず。かなり凹んでるとこ
ろデス。


HOBO

縁側のある家。

この季節になると特に僕の周りにある英国製品が活躍し始める。
ウィンザーチェアやタンノイスピーカーの実力に驚き、英国のも
のづくりに対する姿勢に魅せられっばなしのHOBOである。
本州ではまだ少し早いのだろうが僕はもうダッフルコートを着て
歩いている。僕のダッフルコートはすべて英国の<グローバーオ
ール>。そのなかのネイビー色のグローバーオールは30年も着
ている。そんなことができるのは、この製品が不滅の定番商品で
あり作りがいいからだ。着れば着るほど味がでる。さすがにトグ
ルをとめる麻の紐は三度切れたがそのつどリペアーした。交換用
の麻ひもは形や長さが変わらないのでどのコートにも使える。何
度もいうが、良いものほど修理がきく。ながく使うことを前提に
作られている。「そんな貧乏くさいことを言わず新しいのを買え
ばいいのに!」という声が聴こえてきそうだが、僕からすればそ
ういう考えのほうが思いやりが希薄で貧乏くさいのだ。

最近、母がやたらに「縁側のある古い家に住んで、畑で野菜でも
つくりながら暮らしたいねえ」みたいなことをいう。「雪かきが
大変だ!」というと「そんなの知らん!」と言われた。縁側のあ
る家か、悪くない。

いぜん何かで読んだが、イギリス人のほとんどが郊外に家をもち
たがるのだという。子供から孫の世代まで使える家具をおき、レ
ンガづくりの丈夫な家を建てる。そしてカタチの変わらないベー
シックなクルマで通勤したり買い物をしにロンドンまでいく。そ
んな暮らしを好む英国のひとはとても堅実だ。
<HOBO’s NOTE>をやったら定山渓か銭函あたりの古い
農家の家を買い自給自足をしながら暮らすのも悪くない。毎日好
きなクルマに乗って店までいく。夢のようなライフだ。本州じゃ
ないので縁側のある家などないかもしれないが、離農し空き家に
なっている物件が安く売りにでているときいた。冬はたしかに厳
しい、しかしそのぶんなにか温かい。ああ!ダッフルコートから
こんなコラムに発展しちまった!なるほどな、古くて豊かなイギ
リスの家、便利で貧しい日本の家、、、、

勤労感謝の日は母の誕生日。それは毎年やってくる。夢をかなえ
るのは、僕の仕事だ。



HOBO

ボクのともだち。



この写真は以前アップしたことがある。30年ちかく倉庫のよう
なところに放置されていたワーゲンを手にいれ足寄町のキャンプ
場でのイベントに参加したときに撮ってもらった写真だ。ちょう
どボク自身が病気と闘っていたときに見つけたクルマなので、な
にか特別な想いがある。古いものは捨てられるばかりで手もかか
るが、身体だってクルマだって悪いところをちゃんと修理して使
えば、まだまだ、ぜんぜん大丈夫。
冬なのにこの写真を使ったのにはちょっとワケがある。じつは今
ボクはまた病気と闘っていて、なにかにしがみついていないと壊
れてしまいそうな、じつにバランスの悪い状態であるが、<HO
BO’s NOTE>の開店という夢があるので休んでなんかいら
れない。いつもそうやって乗りこえ、叶えてきたのだから。


・・・・・紅や黄色の葉っぱが雪の下敷きになっている舗道を歩
きながら行きつけの喫茶店を目指していると<中古ピアノ>の看
板が目についた。ショーウィンドウにはKAWAIやYAMAH
A、ボストンなどのピアノがならんでいる。やはりどれもピカピ
カにリニューアルされたものばかりだ。これだと元の状態がわか
らない。どんなふうに扱われてきたのか?どんな想いで生きてき
たピアノなのかがわからない。楽器だって心があるのに、、、そ
んなことを考えながら店の横の通路に目をやると、何台かの出荷
待ちのピアノが置いてあった。スタッフが忙しそうに出たり入っ
たりしている。邪魔にならないように挨拶をして帰ろうとすると
通路の隅っこに木目調のアップライトが置いてあるのが目にはい
った。透明ピニールで養生してあるがボクにはそれがヤマハのU
7だということがすぐにわかった。
なんていうことだ。よく見るとそれはAタイプの初期型、このま
え生徒の家で見たものと同じ昭和41年製のピアノだ。探しても
なかなか出てこないというのに、こんなところに、寒い通路に放
置されている。あの時もそうだった、、、
何気なく訪れたワーゲンショップで、ボクのオレンジは雪の駐車
場に放置されていた。運命的なものを感じずにはいられない。
「このピアノは売り物ですか?」と、忙しそうにしているスタッ
フに訊いてみた。スタッフは面倒そうな顔で「ああ、それね、」
と言った。
話をきくと、そのU7は2ヵ月くらいまえに買い取ったという。
ワンオーナーであまり弾かれることなく居間に置かれていたもの
らしい。しかし残念なことに陽当たりのいいところに置かれてい
たために陽の当たるところだけ多少だが焼けているのだといい、
買い手はついてはいないが出入りしている調律師の先生が安く買
い取ってもいいみたいなことになっているようだ。
ボクが「ふ~ん」みたいな顔できいていると、「でも、欲しいお
客様がいたらお客様優先ですよ!」みたいなことを言ってきた。
話してみると話好きなスタッフでいろんな裏話などもきけてけっ
こう楽しい。「だいたいは中国人が買っていきますよ!」と笑っ
た。このU7は象牙鍵盤なので輸出が禁止されているとか、中国
人は外見さえキレイにすれば買うとか、いろんな話。
中国人はピアノだけじゃない。北海道のナラの木や盛岡の南部鉄
瓶、新潟の槌起銅器や、希少価値のあるものは全部まとめて買っ
ていく。困ったものだ。へんなところでへんなふうに他国の世話
になる日本。買ってくれるなら、へこへこどこにでも売る日本で
ある。

傷つき陽焼けした古いヤマハを買おうと思う。ボクが買わなけれ
ばコイツはきっと耀けない。あの日、即決しボクと暮らすことに
なったオレンジに、友ができるのだ。超がつくほど格安でいいと
いうので言葉に甘えようと思う。このピアノ、ボクに似ている。

かなり傷ついている。
かなり汚れている。
かなり落ちぶれている。
ひとりぽっちである。
だけど、ヘコタレてはいない。

悪いところを修理して、こいつと共に、また歩こうと思う。
ああ!この澄みきった北の青い空に、ボクのピアノ。
ぽろ~ん、と

こんなに、、、、
温かい。


HOBO

ひき継がれたこの温もりこそが。

札幌に帰ってきて一週間がすぎましたがやはり自分の家はいい、
雪は降りますが、ぎゃくにこころ温まる北国の冬であります。

先日、数学のおさらいというか、冬休みになるまえに一度アドバ
イスをということで高校2年の男子不良学生(笑)のおうちに行っ
てきました。中学からの苦手がひきずって落ち込む底まで落ち込
んだ生徒さんの目は魚のようでした。まあ、これは積み重なった
ものですから救急処置はできません。ですからつながりのライン
を定め、70パーセント修復を目指すことにし、方程式までさか
のぼり。にしんのような目に少し光が見えたところでおやつの時
間にしましょう、ということになりまして居間に。ここのおうち
は両親ともに内科医ということなのでオバあちゃまがケーキなど
をだしてくれました。今になって方程式の見直しなんて、「医学
部はむずかしいんじゃないか?」と少年に言うと「ですよね?」
とオバあちゃま。ハイカラというかなんというか、笑顔に余裕が
あるんです。「いいんだ、俺はサッカー選手になるから!」と言
いながらケーキを3個もたいらげましたよ。
このおうち、居間のむこうに畳の部屋があるんですが、そこに何
気なくアップライトのビアノが置いてありまして、見るとチーク
の突き板が貼られたヤマハのU7。ヤマハアップライト最上位モ
デルというか、総アグラフ、鍵盤が一枚本象牙という贅沢仕様、
一時期ぼくが本気で憧れたヤマハなのです。
「オバあちゃま、これは?」ときくと、「ああ、それ?娘に買っ
てあげたのにぜんぜん弾かなかったのよ。」とオバあちゃま。い
きなり「譲ってください!」とは言えず、、、

<U7>というモデルは、昭和39年(1964年)~昭和49年
(1974年)まで製造されていました。年代の古いものからAタ
イプ、B、C、Hと、流れていくのですが、H型だけは象牙では
ありません。しかし、当時は象牙でオーダーする顧客もいたらし
く、まれにH型の象牙というのも見かけます。オバあちゃまのU
7はA型の前期物、同じA型でも前期と後期があり、じつはこの
A型前期物だけが<YAMAHA>のロゴ字体がちがうのです。
ずいぶん探したんですよ、じつはこれ、ははは。

ジャズとかブルースをやるならアメリカの<ボールドウィン>と
か<キンボール>のほうがそれっぽいのかもしれません。でも、
それっぽいかどうかは個人の想像力がつくるもの。オバあちゃま
の娘さんがまったく弾かなかったYAMAHAのU7。ぼくがか
つて、母に買ってもらいまったく開くことをしなかった百科辞典
のように、捨てられない想い出があるのです。けっして医者を目
指そうとしない魚のような孫を眺めながら「しょうがないわねぇ
~、まったく。」と笑うオバあちゃまの瞳には家族に対する信頼
の温もりがありました。「譲ってくださいっ!」とは言えません
よ。昭和の古いヤマハ・・・・・
ひき継がれたこの家族の温もりこそがほんとうのジャズであり、
ブルースなのかも知れません。


HOBO

スタイルがある。

音の好みというのはいろいろだが、どうもボクは<タンノイ>の
音が好きみたいで、よく言われる、ジャズはJBL、クラシック
はタンノイみたいなそんなことは誰が決めたんだ!好きならそれ
でいいじゃないか!みたいな。なんというか、あのやわらかでま
あるい、そして奥深くツヤのある、1950年代のタンノイ。素
晴らしいと思う。

モニターシルバーの入ったGRFは枯れていた。某所で視聴させ
ていただいたこの個体は箱こそオリジナルではないが、<エラ&
ルイ>や<レイ・ブライアント>をレコードで聴き、持ち込んだ
<トム・ウエイツ>や<ボニー・レイット>、<エリック・クラ
プトン>や<ボブ・ディラン>をCDで。まったくもって、あた
りまえのように鳴らしきるここのGRFの実力は相当なもの。ボ
クはかつてこんな素敵な音を聴いたことがない。

アメリカの音楽をイギリスのスピーカーで鳴らしイギリスの椅子
に腰かけて聴く。アメリカの音はJBLやアルテックでしょう?
そんな声がどこからか聴こえてきそうだが、そんなの関係ない。
まあしかしこれがまた!いぶし銀とはよく言ったもので、ボクも
歳をとったのだろうか、この、まあるい、枯れた音は病みつきに
なる。もしもボクの店にこのGRFと初期型のマランツ7なんか
があれば、<音>のすべては解決するだろう。何時間聴いていて
も疲れない、ヴォリュウムをあげてもうるさく感じないGRF。
虜である。

このGRFには自分だけのスタイルがある。溶けてしまうところ
だった。



HOBO

ラブ・ミー・テンダー。

京都のジャズクラブだかに行ってきましたよ。デニスとビルの前
で待ち合わせ「やあ!」とか言いながら6階の入り口に行くとな
んだか雰囲気がちがうんですよ。ボーイのような若い男が俺にむ
かって「お客様、その格好では、ちょっと、、、」みたいなこと
を言いやがる。まあ、たしかに軍パンにパーカー、ニットの帽子
というラフい格好でしたがね、なんだ、そんなにかしこまった店
でしたか。デニスは一応ジャケットにネクタイをしめていたので
大丈夫のようでした。「どうします?」とデニスが言うのでもう
一度「ダメすか?」と訊くとボーイは極端にイヤな顔をしてまし
たよ。宿にもどって着替えてくるしかないでしょう。

俺はからだがデカイので昔からトラディショナルなスーツしか着
ません。シャツはボタンダウンですし、靴はオールデンのプレー
ン。いまの若者がはいているアブドロザぶっちゃーのような先が
はね上がった靴はもっていません。しかし、あれはなんなんでし
ょう。そして最近はつんつるてんのレディースサイズのようなス
ーツの着方。時代は変わったんでしょうかねえ。

ジャズにはアイビーが似合うんですよ。そりぁそうですよ、スタ
ンダードっていうぐらいですからね。マイルス・デイビスだって
ジョン・コルトレーンだってボタンダウンのシャツを着て三つボ
タンのスーツで演奏してましたよ。しかしまあ、ここはぜんぜん
ジャズクラブじゃない。ナイトクラブっていうんでしょうか?チ
ークなんか踊ったりして、困ったおじさんとおばさんたちですね
え。えっちクサイんだから。にやにやしてるデニスをひっぱって
すぐ出てきましたよ。

デニスが食事したいと言うんでちいさな蕎麦やに入りました。京
都の秋は寒いくらいで道行くひとはみなコートを着てました。熱
い蕎麦をすすってますとイカした歌が有線から流れてきました。
バーブラ・ストライザンドとエルヴィス・プレスリーのラブ・ミ
ー・テンダー。
「いいですねえ、HOBOさん!」
「ああ、最高だ!ジャズクラブは最低だったね。」
「ほんとですね、最低の最低の最低!」

あした札幌に帰ります。デニス、ありがとう!


HOBO



ピカチュウの憂鬱。

3年ほどまえに担当した生徒の母親から電話があり、志望校に入
ったはいいが、部活もやめ、学友ともなじめず最近はほとんど学
校にいかずひきこもっていると母も半べそ状態。いちど会ってア
ドバイスをしてほしいと言われた。アドバイスといってもぼくは
学習の仕方のアドバイスはするがカウンセラーではない。「本人
はいまいるんですか?」ときくと「おります」というので生徒と
電話で話をさせてもらった。2週間ほどまえのことだ。

この生徒のことははっきり覚えていた。ピカチュウみたいな顔を
した頭の良い女の子で中学の成績はオール5だったと記憶してい
る。たあいのないことを話したあとに「友達はできたかい?」と
訊くと、彼女は、「ひとりいたけどいまは、、、」と淋しい声を
だした。「はは~ん、そうか、、、でもね、大丈夫だよ!」とぼ
くが言うと彼女は「ダイジョウブ?って?」と不思議そうにして
いた。

彼女は成績は悪くないので勉強がいやで学校に行かないわけでは
ない。だいたい不登校は外ではなく家庭内、とくに親がその原因
であることが多いのだが今回の場合はそれほど根の深いものでは
ないと思う。それは彼女との会話と彼女の声の色でわかった。親
友との別れがショックだったのだろう。
「手紙を書くから!」というとピカチュウは、
「あ、はい、、、」と応えた。

・・・・・友達なんか追いかけなくていい。ぼくなんかひとりも
いない。笑
いいかい?ヒントはね、大好きなことを、なんでもいいから大好
きなことを見つけ、そのことに熱中してほしいんだ。
読書でもいいよ、音楽鑑賞でもサイクリングでも、なんだってい
いんだ。好きなことをやっていれば、君と同じことを想い、同じ
価値を抱いた友が必ず現れる。
君が君らしく輝けば、君にふさわしい仲間たちが寄ってくると思
う・・・・・

そんなことを手紙に書いた。

きのうピカチュウの母親から手紙のお礼の電話があった。彼女は
頓挫していたピアノをまた習いだしたという。そして学校にも行
き始めたことをきき、小躍りするHOBO。これは、自分自身に
あてた手紙でもある。



HOBO

profile

Mr.HOBO

Mr.HOBO

ちょっと病気をし
凹んでるとき、
ひょんなことから
1974年製のワーゲンを
手にいれた。
車庫で30年も眠っていた
オレンジ色のワーゲン。
命を吹き込んで
一緒に走ろうと思った。

これは
少年HOBOの
ゆる~い日記だ。

最新記事


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。