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うたうこと。



 歌というものは、だれにむかって唄うのか?〈君〉という
のは誰なのか?聴く者がどこに響かせるのか?それは自分に
しかワカラナイ。歌はどこにむかって流れるのか?〈ぼく〉
というのはもっと広いもっと大きな僕であってほしい。

 原発のことをその真ん中から唄おうとしているシンガーや
アーティストがたくさんいるが、また、それを聴き、薄っぺ
らな付き合い程度の賛辞を並べる人がいる。正直、ぼくはウ
ンザリしている。
 ひとの心を唄うときに、たとえばなしのできない表現者が
いる。想いだすことのできる、心当たりを探せる歌がいい歌
なのに、表現のしかたといえばそうなんだろうが、カタチだ
けの歌はもうやめてもらえないだろうか?何回もいうように
、どこで流行らせるのか?どこに響かせるのか?誰のために
唄うのか?パフォーマンスもいいかけんにしてほしいと思う


 尾崎豊の歌を桜井氏が表現している。ユーチューブのコメ
ントを見ればわかるように、聴くひとの基準がズレまくって
いる。それでも、歌は歌としてここに存在するのだ。歌は中
心に立って唄うものではない。ときにはすこし離れた場所に
立ち、ときの流れにささやく歌もあるだろう。尾崎は原発事
故よりずっと前に死んでいる、しかし、誰かのこころを過ぎ
て誰かの心にちゃんと響いてくる。こんな歌を探すべきだと
ぼくは思うのだ。


HOBO

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コメント

hoboさんは洋楽派なのに、しっかりと本質を見ている方だといつも感心しなからみています。まして自分より年下であろうアーティストをとても謙虚に分析している。じつは、佐世保のライブハウスでhoboさんがうたっているのを偶然ききました。例えば、という曲だったと思いましたが、妻ときいていて、こみあげる優しさで涙がとまりませんでした。もっと自分のことをアピールしてもいいのではと思います。また佐世保にいらしてください。

  • 2013-09-09│16:02 |
  • 尾崎命 URL│
  • [edit]
尾崎命さんへ
あっ!
あのときのご夫婦さんでしたか!
覚えてますよ、完全アウェイの夜ですね?
あのときは、北海道のミュージシャンはみんなヤワで、
九州のミュージシャンは骨太だ、みたいなことを言う司会者がいましたよね。
「あの〜、おれ、北海道のミュージシャンで〜す。」って手を上げたら、
「それじゃ〜唄っていただきましょうか〜」なんて、半沢直樹に出てくるような
イヤな感じの司会者でしたよね、
そこにあったギターで唄えというので、見たらタカミネ。
「な〜んだタカミネですかあ〜」っていったら、「みなさん!タカミネじゃ
唄えないそうです!」みたいなことを言う。目の敵でしたよ。
しかたないんで、そこにあったピアノで、そうだそうだ、「たとえば」でした。
帰りに、「しびれました !」と言ってくれたご夫婦がいましたが、そのときの
尾崎命さん。
尾崎命さんありがとう。
たぶん佐世保には行かないと思いますが、笑、できるだけこのサイトでアップ
するようにします。ライブのあの感じは独特ですからねえ。
あのときの「たとえば」はたしかに想いがあったかもしれません、
ありがとう。

HOBO
歌は真ん中でうたうと駄目なんでしょうか?
  • 2013-09-09│19:48 |
  • イノダ URL│
  • [edit]
イノダさんへ
イノダさん、コメントありがとうございます。
歌は真ん中で唄うべきだと思います。だからこの記事を書きました。
人との付き合いも生き方もそれぞれだと思いますが、ぼくは、全部、
真ん中でいくべきだと思っているのです。
たとえば、戦争の映像やそれっぽい映像を歌のバックに流すと、
不思議とそれっぽく見えてしまうということですよ!
真ん中じゃないのに真ん中に見えてしまうということです。
ニセモノはすぐわかるんですよ。

歌は真ん中で唄うものです。

HOBO

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Mr.HOBO

Mr.HOBO

ちょっと病気をし
凹んでるとき、
ひょんなことから
1974年製のワーゲンを
手にいれた。
車庫で30年も眠っていた
オレンジ色のワーゲン。
命を吹き込んで
一緒に走ろうと思った。

これは
少年HOBOの
ゆる~い日記だ。

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